ロックンロールダイアリー
 
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井口拓也(僕):198X年生まれ
蟹座の詩人。
 
説明:基本的にずぼらなので不定期に更新していこうかと考えております。
 
大草原の小さなイエーイ
2007年8月10日金曜日
 
こんにちわ。最近、というか思いつくままに頭の前っかわの髪を紫に染めました。おしゃれに言うとヴァイオレットってやつですね。禁治産者とは僕のことを言うのか、なんてしみじみ思いますが気にしない。髪型なんて帽子ですよ!だから大いに遊ぶし悪い意味であんまり気にしない。
 男子トイレに入ると若い人は用を足す時間より鏡の前で髪の毛をいじいじしてる時間が長いんですねぇ。僕はそれが恥ずかしい、とても自分ではできないし見てるのも恥ずかしい。男子たるものしゅっと入ってちゃちゃっと済ます、それがかっこいいと思うのは僕だけ?大人の人は信じないかもしれませんが最近の男子中高生は手鏡を鞄に入れてるのが普通なんですねぇ、気色わる。なんて思ってました、当時から。
 休み時間に髪の毛いじいじ、昼休みにいじいじ、トイレでいじいじ。やめーい!みたいな。笑 僕が女ならその時点で0点ですよ、そいつは。
 こんなこと言うのは古
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今夜はビートイット
2007年7月26日木曜日
 
 僕の人生初めてのライブ体験は16歳のときのレディオヘッドです。KID A 、アムニージャックのワールドツアーの最終の地、日本。大阪城ホールで。
 環状線の大阪城公園駅で降りて周りを見渡しても恐らく自分が最年少ではなかろうかというほどおしゃれ兄さん姉さんで溢れ返ってたっけ。もちろん僕は一人。なにしろまわりで世界は終わる、なんて歌うイギリスはオックスフォードのバンドなど聞いてる人いなかったのだ。だからおどろいた、レディオヘッドが好きな人がこんなにもいるのかと。
 開演すると数千人が総立ち。ideotequeが始まるとひときわ大きな歓声とともにタテノリ。チケット取るのが遅かったからとにかく遠かった。2階席中段。でも自分とトムやメンバーとの間に何も遮るものはない、ただただそんな状態に感動してた。
  
 ちなみに人生で初めて買ったCDは中学生の時のビートルズの「HELP」。
  
 嫌なガキ
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気づいたら僕しかいなかった
2007年7月24日火曜日
 
 努力できることは才能だ。なんて良く聞かない?少年漫画でもそういうことを良く聞くような気がする。そういうシーンに僕は確かに感動する。でも大嫌いなんです、努力できることは才能だ、なんて。僕にとってそれは絶望と同義である。
 なぜならそれを認めてしまうと自分に才能がない、というのを認めてしまうのと同じだと思うから。努力が才能なら才能って何?
 例えば僕が生まれてから生活のすべてを100メートルを9秒台で走るために捧げたって多分一生無理だろう。それが才能だ。
 可能性は可能性のままが一番美しい。
 だから僕は自分自身のために努力は才能のないやつがすることだ、と言い続ける。
 
 最近若い、というか年下の人とふれあうことが増えた。16,7ぐらいの。
 バンドを組もうということになった、まぁポシャるかもしれんけど。しかしそのぐらいの歳でバンドを組みたい、なんて言ってる人を見るだけで僕はなんか涙が出
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きぬーがわへとびこみーん
2007年6月27日水曜日
 
 CDってなんであんな高いんでしょうかね?特に邦楽のアルバムなんて三千円もします、ぼったくり価格ですよ。地上最低のクソアルバムだろうが最高のアルバムだろうが三千円。だからこそ洋服のようにある程度高いものがいいというわけではないから音楽の趣味にはセンスが問われるし最低のミュージシャンにも最高のミュージシャンと同じだけのお金が手に入る。 
 僕が思うにCDが高いのはレコードの影響なんだと思います。メディアがレコードからCDへ移り変わる時音楽業界はアルバムの値段を据え置いたんではないだろうか?しかしレコードは彫らなければならないのでCDより時間もお金もかかっただろう。なのに据え置いた。そのせいで僕らはレコード時代と相も変わらずアルバムに手を出すのをためらっている。
 CDが高いとか文句言いつつ昨日買ったくるりの最新アルバム「ワルツを踊れ」。とってもいいです。10回聴かなきゃわからない突き放した
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デジタルの進化はアナログに漸近することである
2007年6月21日木曜日
 
 コミュニケーションとはいかにも頼りないものである。僕の考えて喋ったことは情報として正確に伝わらない、たとえそれを相手が理解した、と感じていてもだ。そして話せば話すほどその理解には誤解曲解が溢れている。
 それは例えば僕らが英語圏の人と話すときに英語のわからない僕は話の中の自分のいくつかわかる単語と語調を汲み取って理解しようとする。それは正確でないどころか全く逆のことを言っているこだってあるだろう。
 日本人同士のコミュニケーションでも同じことが言えると思う。自分の理解できる範囲で理解しようとする、否自分の理解できる範囲でしか理解できないからだ。そして自分の理解できる範囲が相手と同じ、ということはほぼない。
 
 誰かのことを理解しよう、というのは決して優しさでもなんでもない。反対に自分のことを理解してもらおうとすることが優しさでありサーヴィスである。
 
 
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